ごきげんよう
新大和橋 2024/4/1
河内の大和川にかかる204.4mもある長い新大和橋です。余りにも温かいので、いつも横目にして素通りしてしまっていましたので、一昨日は渡ってみました。橋中では鷺の群れが遊んでいたり春風も気持ちが良くだーれもいないのでしばし流れを見つめていました。最近、分刻みの日常でペースが過酷すぎました。いろんな事を受け入れ、整え、落ち着かせると言う私のルーティーンが見事に崩れ受け入れっぱなしでありました、息を吸いぱなしで吐く事を忘れているみたいな、たとえて言うならそんな感じです。やっとペースが戻りつつあります。橋を渡る....何かに背を押されて、ペースを戻す手助けをいただけたのかな。ならば嬉しい限りであります。先生は『これから人は一日に一つの事しか出来なくなるのよ』と理由を付けて語られた講習会がございました。その場が来なければわからない、何事も学びである、とは我々の学習力の鈍感さに柔らかく楔を打った言葉かもしれません。
ちょっと見ると大した事なく、いっこうに偉そうにも見えないが、なにか、事ある毎に光が出る様な人、そういう人が偉いというのではないかと、平澤興先生は仰っています。その様な人は、きっと、年月が経つとその光は常に後光となり、さらに、年月が経てば目の前で拝見するだけで『なんだか勿体無い様な気になる人』になられるのでしょうね。また、いつぞやお会いした鞍馬山の元貫主信楽香仁様は『底光るただの人になれ』とも何度か仰いました。
御二方の生きること、命を磨くこと、幸せに向かうことへの一言一言に強い粘りがあり、決して軽く通り過ぎることが出きない、一度立ち止まって心の奥に仕舞いみたくなる様な奥深さは、人生すべてに通暁しておられる証でありましょう。
近付きたい近付こう、という想いが湧き出て、更に高みを見ながら流れ着きよろしく新年度をはじめることにしました。節々に進む用意をしなければならない時、その節々に思い出す偉大な御人の言葉や実際の出会いが我が経験の中に存在する事はラッキーであります。我が過去の歩みが愛おしくて堪りません。過去に歩みに拘っているのではありません。過去の歩みに只々感謝しているのです。荒瀬や深瀬を歩めない時は何度も橋を掛けてもらって、何度も渡って来たのかもしれません。2024/4/1 by tayu