つぶやき by Tayu

つぶやき

ごきげんよう

黄昏時の東京 2024/11/20

私が美しいと思っています言語の一つに『薄暮』と言う日本語があります。『黄昏』とか『夕暮れ』とかと大して違わない意味だと思っていますが、大概、この時間帯になりますと空も山の稜線も美しい群青色や濃いグレーだとかになります。しかしながら、東京は一斉にネオンの鮮やかな街に変身するのです。これもまた芸術的で思わず立ち止まって『次の画面』を待ってしまいます(田舎者なんです、我が街は午後8時を過ぎましたら人の往来は殆ど無くなります。)


閑話休題、前回の『つぶやき』に『程良い身の丈を知る』事を提言いたしました。少し補足致します。


自分のことが分からないのに他人の事など分かるはずがありません。中には『私なんて何も分かりません』と言う会話を謙遜する方便として、その事を触りない生き方としてモットーにしている人もおられます。『分からない』と言う謙遜は、もしかしましたら、その様な人にとっては自分以外の人=他人を見ようとしない時に使う社交辞令的な表現となっているかもしれません。


謙遜と言う裏側にウソや影が有れば、それは美徳ではないと考えます。反面、『威張る』と言ってもその裏側に『強い信念』を見取れば、その『威張る』は短所欠点ではない、かえって、尊いと考えます。『謙遜』という形式だけを身に付けてしまっては建設的な人生になっては行かないと思うのです。


本気で自分を見つめている時(知ろうとしている時)は見栄もなく恥ずかしがることもなく『素』でおれますので『格好良いひととき』が過ごせます。見つめ直すと視野も行動も広がって楽しいと思うのです。

2024/11/20  by   tayu