ごきげんよう
心地よい一日を過ごしました 2023/10/23
お昼過ぎから娘婿殿が毎月のお詣りに連れて行ってくれました。人里離れた小高い山頂に今月も軽やかに登れました。いつも心地よいとは此の事か!と思う、山の風、雲の風、葉擦れの風、なかなか良いものです。お詣りの人すら出会うことも滅多とないところです。従って、社の前では人の声も車の音も聞こえません。勿論、感謝の気持ちを持ってお詣りしますが、それは『ええ恰好し~』で、まだまだ元気で暮らそうと思っている者には、心の片隅どころか心の半分くらいは(笑)お願いもあるでしょう。勝手なもので、それは関係ないように自分を庇い(笑)、『さっ いこう』と最高な気分を胸に、静なる山風景を御馳走になり、元気に帰ります。
願いの類に寄れば、『欲』ではなく『慾』となりますと(この理論では欲と慾を使い分けます)、丸で心に雑草が伸び放題の状態と言う例えが相応しいでしょうか?若ければ抜いても抜いても生え出てくる強い生命力がある雑草を、抜きながらでも生きていけますが、なるべく余分な力は使いたくないと心に決めている少し齢を重ねた者には、雑草を抜くよりも『一粒でも良い種を播いておこう』と(足腰が楽な事)思う事しきり。が、これよりのちは青年のように脈々と立ち向かっていく氣力だけは充分持って臨みたく思います(笑)
お詣りも条件が揃うと不必要な塊が蕩けて無くなるようですが、呼吸や胸の中が暖かくなったり楽になったりする為に、私が尊敬する先達の御方は『悲しみ菩薩様ありがとう 生きる苦労菩薩様ありがとう 病気菩薩様ありがとう 老化菩薩様ありがとう』と頭の中で反芻することにしたと仰っています。2023/10/23 by tayu