つぶやき by Tayu

つぶやき

ごきげんよう

ポーランド アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所跡 2023/11/6

マーゴ兄のポーランドへのプチ旅行で行きたかった所、アウシュビッツ強制収容所跡です。ユダヤ人をはじめとする多くの人々が収容されて過酷な労働を強いられ最後に虐殺されたクラクフの街、第二次世界大戦中はナチスの政権下にありましたが戦火も免れて奇跡的に残っている古都です(以前のつぶやきで紹介しましたが)。


皆様、『シベリアおもちゃ』ってご存じですか。戦後ソ連(現ロシア)に抑留され強制労働に服した一部の日本人捕虜兵が収容所内で拾い集めた木の小片で櫛や人形などを作った細工物の事です。この『シベリアおもちゃ』の話を学生さんにしたら『(することも無いので手持ち無沙汰で)余程暇だったんですね』と言って返して来たと言う現実の話があります。父はシベリアに抑留され昭和23年に日本にやっと帰ってきました。父はどうしていたのかと涙が出てまいります。


シベリアに抑留された日本人捕虜兵が暇などはないはずです。極寒の地で毎日の重労働で疲れ果て、飢餓も経験している中で、そんな非人間的な日々に暇を弄ぶことはきっとありません。極限にありながらも非人間的状況にありながらも、『にもかかわらず』シベリアおもちゃを作り続けたのは『なおも人間でありたいという悲しい願い・そこに喜びをみつけた』無意識さが作らせたのではないでしょうか。蜉蝣のように命が果敢なくても精一杯生きている現実の一瞬の充実感こそ生きる心柱となっていたのでしょう。


菀翠子『火の毬を つきて遊びし つかの間の 記憶わが掌に 烙印となる』この歌に、『それでは(やけどをするくらいなら) その人は毬をつくべきでなかった』と言った心傲れる人がいたと体験談を某氏が語られています。運命が一度も微笑んだことがない人ほど、むしろその毬をつきたい、やけどを負っても欲する気持ちだろうとも付け加えられています。


遊びを掘り下げてまいりますと、人の寂寥感に出会い、凄惨な事にぶつかります。現実が貧しいほどささやかな夢を抱き夢に酔いしれて遊びに魅せられるのかもしれません。しかし悲しいことに実利実用の世の中になりますと虚しい夢の遊びの形態は脆くも崩れ去ります。ゲーム時代になりました。『時代』であります。アウシュビッツやシベリアおもちゃや火毬の事も頭のどこかに残していただきたい願望が湧き出ます。又、時代が変遷していく中で、時代と共に生きながらでも、あらゆる状況に生きている人がいて、自分が知らない人の数だけ人生があると思います、それらの人生を出来る限り推し量ることが出来る人間になりたいものです。なっていきましょう。


明日から岩手県盛岡市に向かいます。どうぞよろしくお願いいたします。次の更新は10日を予定しております。今日の『つぶやき』は書き上げています間に、何度も読んでいただきたい気持ちが沸き上がりました。2023/11/6 by tayu