ごきげんよう
ストックホルム駅 2023/11/14
とりわけ東京駅のように世界でも人口が多い都市の駅はごちゃごちゃとしていますが、ストックホルムの人口は100万人切っていますので、このようにゆったりとインフラを使えているのでしょうね。息が元気に出来る空間だと感じます。
駅のプラットホーム、略してホームと言うのは誰もが周知の事と思いますが、最近は、プラットホームと言えばIT関係の用語とかビジネス用語として発信されることの方が多いと感じています。基本的意味は基盤・基台と言う取り方でいいのかな?と考えますが、結局は『足場』という意味でとらえると良いかもしれません。
社会生活においての『足場』となる、個人や世間や社会と言う言語を定義づけしても、私は洋の東西=地球レベルでは其々の国の発祥に差異が有るので無理だという考えです。中でも日本では曖昧さも美徳として昔より社会・生活の中に溶け込んで居りました。明治時代になり生活が西洋化されて、特に個人と言う前提に注目がされ始めましたが、江戸時代までは社会・世間・個人と言う言葉はなかった国ですから国民は『足場は組めなかった』のではないでしょうか。ところが、足場を組めなくても日本ががっしりしてこれまでこれたのは旧来の世間と個人の関りが強靭であったという事でしょう。
時代が変わり個性を全面に押し出して生きようとしても、個性は充分発揮できなかったことを、夏目漱石は『坊ちゃん』の中で、特に世間と言うものを皮肉っています。
新入りの教師坊ちゃんに向かって、赤シャツ(学校・社会・世間の事)が『まだ学校を卒業したてで教師の経験もないものは学校と言うものの中には口出しせずに大人しくしておいてください、そうそう淡泊には事は運びません』と坊ちゃんに言う場面があります。難癖をつけて軽蔑する世間・社会を形容している表現と思われます。学校では清く・正しく・美しく・嘘をつくな・差別をするな・正直に生きて助け合えと教えているのに、真逆の赤シャツの発言に対して『いっそ学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世の為も当人の為にもなるだろう』と坊ちゃんは考えています。
坊ちゃんに拍手と思いながら実は自分の日常に『赤シャツ』が居座っているのではと感じたりもします。しかしながら、せめてもと作品の中で坊ちゃんに座布団10枚あげて拍手をしてしまう様な空気は、私たちの思い考えと現実情の乖離が深行している証拠かもしれません。 2023/11/14 by tayu