ごきげんよう
東西明王堂 の梅の花と笠置山
「つぎはぎの人生」と聞くと、多くの場合、計画性に欠け、場当たり的で一貫性のない歩みを指す言葉として語られがちです。しかし本来、人の人生に「完全な一枚布」のようなものは存在するのでしょうか。むしろ私たちは皆、それぞれの経験や選択、偶然や必然を縫い合わせながら生きている存在、しかも、その縫い目を丈夫に美しく見える様に仕上げながら日暮らししているのではないかと思います。
進学、就職、出会い、別れ、成功や失敗――その一つひとつが、意図したものであれ、そうでなかったものであれ、人生という布に継ぎ当てられていきます。振り返った時、それらは決して無秩序ではなく、むしろその人にしか描けない独自の布模様として浮かび上がるものです。整然と織られた人生も美しいですが、不揃いな布切れが織りなす温かみもまた、かけがえのない、本当にかけがえのない価値を持っている気がしてなりません。
現代社会においては、効率や一貫性が重視され、成功のモデルが強く求められる傾向があります。その中で、そうした枠に収まらない生き方が「つぎはぎ」と表現されることがあるとすれば、どこか評価や序列のイヤラシイ匂いが感じられませんでしょうか?。しかし本来、なに人も其々の人生は決して比較されてはならないものであって、他者の物差しで測ったときに生まれる違和感は、むしろ『あってこそ当たり前』の自然なものなのに違いありません。
また、その場その場で場当たり的であろうとも「どのようにして乗り越えようか」「どの様にしたら楽しめるか」と考えながら生きる姿勢には、非常にしなやかな強さがあると感じます。思い通り計画通りに進まない事が多い現実の中で、柔軟に対応し、時には潮の流れに乗って、その流れに身を委ねながらも、自分なりの面白さや生きている事の喜びを見出す力は、決して消極的な生き方ではなく、むしろ生命力に満ちた積極性の現れと言えると思われませんか?これぞ正しく『生きる力』であります。
そうした瞬間瞬間の選択や感情に、私たちの身体、特に身体の全細胞もまた呼応して大喜びをするのではと考えます。『細胞の大喜び』は、楽しいと感じるとき、乗り越えた時の体の奥からエネルギーが湧き上がる感覚であり、それは「真の健康」という本質にどこか通じているのではないでしょうか。これぞ『健康』でありえる基本土台の気がしてなりません。
「つぎはぎ」という言葉を否定的に捉えるのではなく、多様な布が重なり合ってできた豊かな織物として見つめ直すとき、人生はより自由で、粋で、より味わい深いものになります。完璧な形を目指すより、その時々の選択を丁寧に縫い合わせていく、その積み重ねこそが、唯一無二の人生を形づくっていくのだと思います。
唯一無二の一枚布を作り上げる、それは『つぎはぎ』の素晴らしい集結にありますよね。『つぎはぎ人生』のどこが悪い❓良いではないですか‼️唯・一・無・二の『つぎはぎで出来た一枚布』、👍👌☝️。
紡ぎながら参るとしますか💪💪💪2026.3.23 by tayu