つぶやき by Tayu

つぶやき

ごきげんよう

しあわせ🎶♬  2024/8/16

「長年、仲間と信仰をしておりましたが、AさんもBさんも病気になってしまわれました。これは一体どういうことでしょうか?」という管長様への質問に


管長様は「世間の多くの人は神仏に参り数珠を持って礼拝する事だけが信仰と考えていらっしゃる、それは信仰ではないとは申しませぬが、そういうお考えの方は二重生活をしている人なのです。生活は生活、信仰は信仰。上へ上へ登っていきたいと思う心と下へ下へと降って行く日頃の間違った生活態度が相反してそこに矛盾がおきます。食生活を始め言語、動作がすべて一致することが生活即信仰と言えるのです。私達が息を吸ったり出したりする事が信仰生活なんです。」と。


時々刻々における誠実な純粋な嘘のない行動こそ『自分のDNAの中のご先祖や自分を拝んでいる』こと、手を合わせ御数珠を持ってお経を唱えなくても『連綿と続いている我が命の尊さ』を拝んでいることになります。私はその誠実・純粋・嘘のない行いこそ『純粋信仰』であり、人間の『平穏無事の幸せ・笑顔』に繋がる根本だと考えております。その上で、神社仏閣を訪ねたり、或いはお経や祝詞を頂き心身のリフレッシュを致し、躓かない様に『自分を生きる』事を、人はしているのではないかと考えています。他愛もないお話ですが、去年実際に聞きましたお話。『息子の受験のために、お百度を踏むのがいいと聞いたので、初めて〜寺に行きやった来ました』という方がいらっしゃいました。俄かに『何か、世間の見栄・体裁』にしがみ付くき日頃の思い・考え・行動を顧みず、そんな安易な姿を『天』は受け入れるだらうかと思ったものです。天の役目は『天網恢恢疎にして漏らさず』に尽きます。その息子さんは残念ながら2年連続合格通知を貰えませんでした。宇宙の真実はとてもシンプルな様に思いますが、人間が持っている『慾』が幸せになる糸を複雑に絡めているとしか考えられません。


昨今の色々なニュースから宗教アレルギーになられている方もおられましょう。宗教と『純粋信仰』は少しばかり違う様に思います。信念のある生活、心がはっきりしますと生活もはっきりします。心の底から輝き出る光は、凡人には見えませんが知らず知らずのうちに幸せを招く光になります。他愛もないありふれた日常のありようこそ信仰のありようではないかと、徒然、思った事です。               2024/8/16  by   tayu