ごきげんよう
富田林市のトッピーちゃん
我が街は海老芋、茄子、きゅうりの大産地です。海老芋は少し高価かもしれませんが大変美味しい『ブランド里芋』で農林水産省の地理的表示GIに登録されています。『広報 とんだばやし10月号』に夏休み期間中の『こどもの権利条例一緒に作ってみない会』で、条例案を作った様です。
真剣さが伝わって来ます。
子どもの言葉や発想には、しばしば「真理」が潜んでいると思うんです。子供達には大人のように経験や常識で飾らず、物事を真っすぐに見つめ、シンプルに表現する純粋な力があるからです。人間社会は多様な個性の集まりであり、その多様性こそが豊かさを生み出し発展し今日に至ることは確かであります。しかし、その中で見落とされがちな個性が一つあります。それは「感情のもつれから解放されたシンプルな個性」です。
多くの人は成長する過程で、時代背景も手伝って周囲との比較や評価を意識し過ぎて、感情や利害に絡め取られて行ってしまいました。本来人間誰もが持つ素直さや率直さが影を潜め、複雑な思い考えや自己防衛の仮面をまとってしまい、その結果、自由さや楽しさは失われてしまいがちになりました。ところが、子どもの目線にはそのようなもつれがなく、ただ「感じたこと」「思ったこと」を率直に表す潔さがあります。これは、一種の純粋さであり、社会の中では純粋過ぎる故に最も見過ごされやすい個性かもしれません。我々大人は『なんでもない この当たり前』に目線を落とす必要性を感じます。
例えば、大人であれば「こう言ったら相手にどう思われるか」と計算しがちな場面でも、子どもは単純に「これは好き」「これはいやだ」と表現します。その単純さは時に無邪気に見えますが、実は本質を突く直観であり、次代に向けての創造力でもあり、物事の核心を射抜く力を持っています。だからこそ、子どもの発言に耳を傾けると、複雑に絡まった大人の問題を解く糸口が見つかることさえあります。子は宝、本当に世の中の宝物だと痛感いたします。
社会が多様な個性を尊重するとは、華やかな才能や突出した能力を称えることだけではなく、むしろ、最もシンプルで、誰の心にも本来備わっている「感情のもつれを超えた純粋な視点、心の有り様」だと考えます。私たち大人が見落としがちなこの個性を尊重することで、社会はより調和し、余計な争いや誤解を減らすことも可能でしょうに。人にもモノにコトにも『尊い』と思わなくなった、『尊い』と思える事への出会いが少なくなった方が至極残念ですね。
今日の様な複雑な時代世界を生きるために必要なのは、子どものような基本のシンプルさと、大人のように今日までに歩んできた中で身に染みた諸経験から来る経験知を併せ持つこと。その両方を心に温かく抱くとき、私たちはより幸せに近づくことができるのではないでしょうか。その事をこの理論では『龠幸 やっこう』と申します。
2025.9.23 by tayu