ごきげんよう
社会の先人が成し得たことには、どんなに変化しようとも、いつの時代にも学ぶべき多くの示唆があります。ここ数日心に残ったことは、イオングループの礎を築かれた小嶋千鶴子さんの人生です。
戦後の混乱期から商いの再建に身を投じ、時代の荒波の中で「地元お客様第一」を貫いたその姿勢には、凛とした前進の力と先見の明を生み出し躊躇せずに実行するという肝っ玉を感じます。。女性がまだ社会の前面に立つことが難しかった時代にあって、性別を越えたリーダーシップと、誰よりも柔軟な発想で流通業を近代化したその歩みは、まさに先駆者の生き方だと強く感動致します。。
特に印象的なのは、「現場にこそ答えがある」という信念を持ち続けたこと。数字や規模よりも、お客様の声、従業員を含めた働く人の気持ち、地域の息づかいを何よりも大切にされた、そこにこそ、今の企業経営にも通じる“人間中心の経営”の原点を見る気がして、今からでも遅くない‼️学びのヒントがあちらこちらに現れて来ます。
もう一度、『イオンを創った女』を読み直そうと思いましたのは、先日の四日市駅前の豪雨の影響を受けた駐車場のニュースからでした。イオン創業家は、幼い時に両親がこの世を去られて以来、1758年を創業年とする『岡田屋』呉服店を営む事となり、その頃よりかなり先見的な経営をしていたといわれています。正しく世界は激動期に突入し、多くの会社が連鎖倒産し四日市銀行までもが潰れた大不況の時代です。小嶋千鶴子はそんな五里霧中、暗中模索の時代に、10歳歳下の岡田卓也に後継をさせる事を見据えて『残していくものは何か、改革すべきものは何か、障害となるものは何か』を現状を見聞しながら種々の手を打ち、向学心を忘れず見事に実態を掌握したと記してあります。また、『小売業は平和な時代にしか成立しない』事が理解できたのは随分後々になってからであります。統制経済で切符制であった当時、結果として岡田屋は三重県で一位の指定登録を得る事になり、この時の苦労が商売の基本だとして岡田卓也に叩き込んだのは姉の小嶋千鶴子であったとか。その上、日本政府はインフラによる新円切り替えが行なったが、その前に小嶋千鶴子は会社に残った現金全てを商品に換えた為、敗戦後の店舗復興に大いに役立ったと言われています。『焦土に開く』というチラシを打った時は、四日市市民がやっと平和が訪れたと泣いて喜びあったとか。『嫁にもらうならオカダヤさんの店員さんをもらえ』というほどの評判も立ったというから、いかに地域のことを考え人々の事を考えて地元と信頼関係を結んで行けたのかよくわかりました。岡田家の家訓に『大黒柱に車をつけよ』とありますのは、つまり、変化に柔軟に対応して店舗立地の選定をして移動する事を実行されたという事でしょう。それが今に至る全国展開を生んだのは間違いないところです。※イオンを創った女 東海友和著 参考※
時代が変わり、
デジタルやAIが進化しても、人が人に向き合う誠実さ、挑戦する勇気、そして未来への希望は変わらないはずです。小嶋千鶴子氏のように、環境のせいにせず、情報収集と勉学の師と日本の焦土と化した現状に真剣に向き合い、智慧を絞り、次時代を創り出す一歩を踏み出す向上心を、私たちはもう一度『基に帰り』持ち合わせたらと日々考えています。
今日の学びは、「生き抜くとは、人の心を動かし続けること、自分にも社会にも心を遣る事を忘れない、己は人の心を持つ事」また、相田みつをさんは、その事に加えて『感動とは心で感じて動くと書くんだなぁ』と残されています。社会を築いた先人たちへの敬意とともに、私もまた、静かに日々一歩前へ進みたいと思います。特に生き抜き生残る事を真剣に考える時代がやって来た様に感じます。2025/10/4 by tayu優しいなぁお巡りさん👮♀️