ごきげんよう
アウシュビッツ強制収容所 窓の向こう 2023/12/5
家電が今ほど行き渡らず、洗濯を初め、掃除、お料理、娯楽とハンドメイドの昭和の30~40年代は、男尊女卑の傾向も強く、女性は母親にしろおばあちゃんにしろ家事に始まり家事に終わる一日だったと思います。朝から晩までバタバタバタバタ・四苦八苦。子供に関わる時間がやりくり出来なくて、子供は『ほったらかし』。今では家電も揃い便利な事が増え、その分、丁寧に子供に関わる時間が持てます。物の進化は素晴らしく感動さえ致します。
地位や名誉や物やお金を満たすだけでは何かが不足しているような、人間の意識の深いところまで満たされずもっと『人間の本質』を見つめたいと思う人も増えてきたように感じています。確かに身体を使う作業は楽になり、楽しみ・遊びも多様化し、おしゃれも色々出来、気分が晴れやかになるための『小道具』は素晴らしく進化してきました。しかしながら、物を豊かに揃えても、高い代金を支払っても、寝ないでも楽しみたいと思っても、『もう一つピリッと足りない』何かが有ると感じている人に『お話会』を頼まれます。そのような人とのお話は心に力が湧き出ます。喜ばしいことと受け止めております。
種は播いたら何かしらの芽が大概は出てきます。
物(品)だけの快楽心や損得だけの心がニョキニョキと出てきますと、自然や社会の循環や信頼ある人間関係や、中でも親兄弟親戚の繋がりまで希薄となりがちとなりましょう。戦う・争う・引きずり下ろす・傷つける・嫉妬する等の気持ちを駆り立てられますと、自分の心に罪意識が消え失せ、争う種を播き、そして実り、氣付くまで詫びるまで繰り返しているうちに、大きな大きな上手くいかない種になり上手くいかない実となり、社会自体が無味乾燥、それよりもっともっと乾き切ってしまうと思うのです。色々な大切な意識を捨て去りながら生きている氣がしております。(年末の大掃除で物を捨てるのは気持ちがすっきりしますが)
物の進化の恩恵に預かり幸せな我々、ならば我々の意識・心は物の進化と少なくとも同等の方向に励み、偏りのないおおらかな種まきをしたいと思っています。『人と物・種まき編』は、どうやら自分に向かって致すのが本筋のようです。 2023/12/5 by tayu