小さな窓口

2016年9月

一方向性社会から全方向性社会へ 心の働きが大切。自立が大切。

居・場・所

7月講習会にて日本国の波動につきまして稚拙ながらもお伝え致しました。敗戦後、経済の高度成長は全てが消滅した日本に必要なモノ・カネ・コト・教育を満たす方向で成功を見た。しかし、この経済成長は必要量を満たした後も右肩上がりで継続した結果、モノ・カネ・コトは勿論教育迄もが個としての人間の精神容量から溢れた。カネの如きは有るor無い、持てる者or持たざる者を烈然と分け、有る者や持てる者が人格までも特別に優秀と考えてしまうほど、いかにも地に落ちた考え方に潜む慾を生むに至った。【豊かさ】には個人で定義も異なるだろうが、この日本列島で暮らし続けてきた中で経験し、多くの人々が実感してきた感性の【豊かさ】とは大変かけ離れた面も有する。確かにモノ・カネは資本主義の世の中には、大事であり、ある程度は必要であるが、其等を上回る【純粋且つ正直且つ素直な心の器】が私達の人生や日常に存在してこそ真に【豊か】と言える。モノ・カネ・コトが豊富に存在することのみをとらまえて、それらを持てる人間存在を高評価することは、私達は既に分かっている・・・それは荒廃心だと。モノ、カネ、コトに関する器は高度な意識を養い保管する器の大きさを下回らなければ、モノ、カネ、コトの器は壊れる。荒廃したり壊れた心が集合する場所には、まともな政治も経済活動もなければ愉しく生きる智慧も湧くまい。だから、おそらくは、この宇宙ルールの理解者こそが、穏やかで争いなく平穏無事な日々を送日できるように努めるのであろう。現社会は意識の高度化を目指して人生道を歩む私達であるが、先ず第一筆頭アイテムとして、モノ、カネ、コトの存在を意識しすぎると思えてならない。それらの存在のみで人間の優生を決めてはならない。この大事な三点は価値の交換としての役目が果たされ、楽しめる自分があれば良しとしたい。

私達には明確に理解できている事がある。しがみ付いていたモノ・カネ・コトは、今後、しばらくすると生きる最低限のアイテム?になり【心】が優先する時代に漸次移行すると。心がワクワクしたり、楽しんだり樂しんだり愉しんだりする、これぞまことの幸せだと思える時代に漸次移行していると。私達の【心】は既に鍛えられている。此れまで、谷底から這い上がる、峠を越す、谷を渡る、崖を登る、長いトンネルを通過する・・・多々過酷なる場面に出くわすと、必ず乗り切るために謙虚に自分の【心】を使った。自分専用の【心】を使い我が命を繋いだ。歯を食いしばりながら、泣きながら、しかしながら、決して恨み心を暴走させないで平気で人を引きずり落とすこともしないで命繋ぎをしたので、今ここに樂しい仲間を持つに至る。完璧に運が良いとしか言えない、人間と言うイキモノの奥深さを噛みしめる事ができる。何が起きても人生の中で必要な事と思い、素直に人生に真正面を向いて歩んだ。正直者が馬鹿を見ると言われながらも、正直にしか歩めなかった、これからも正直にしか歩めない。だからかもしれない。人間には今何が必要で、人間関係や生活の場は如何にあれば良いか、政治や経済や大小社会は如何に構築実践されたら良いか、分かり過ぎるほど理解出来ていると思う。ここ時代の変換期に、いかなる理不尽な事が起きようとも、充分適応するパワーがあると確信する。ただ、肝心な事が最低2つある。①自分にとってマイナスと思われる方向に巻き込まれない!振り回されない!突き進まない!高みの見物的な生き方をする!【なるほど】【あっそう】と対応するだけで良い。②好調時に大きな勘違いをしない!油断大敵、腹力抜かず!慢心禁物!好調時こそ冷静に且つ行動点検をしてみる。【待てよ、これでいいのかな?】誓って恥じない事ならば堂々胸を張って断固としてGOGOGO!

今は飽くまで時代の価値観の変わり目に伴い、目にする物事が変わっている時である事、【崩・壊】と【創・興】が入り乱れる時だと叩き込んでおくことだ。縄文弥生奈良平安鎌倉室町戦国安土桃山江戸明治大正昭和平成・・・連綿と続いた時代も必ずの時があった、又、その時を生きて無事に次の時代に渡り切った人々がいたから私達の今が在る。きっと、今はこのの中を進行していると思う、なんと我々は幸せなのか!両方の時代を経験している!の中で起こっている咀嚼できない部分はいずれは結果が出るし、又、自分を磨く砥石と思って生きて生きて生き抜くのも渡り上手な法かもしれない。

NIPPON

幼いころ愉しんで生活の一部になっていた場末の小さな商店街が消えていく。黒字循環や経済効率の良い資本力のあるコンビニや、やたらとでっかいスーパーが進出or新出し、コンビニは今や約56,000軒は優に超えるらしい。

それより超えるのが寺院約78,000ヵ寺、神社約88,000社とコンビニや大型スーパーよりも多い。ところが、幼いころ慣れ親しんだ商店街同様、神社寺院も統廃合による減少、荒廃の傾向がある。新たな職業としてお葬式を執り行いお墓のお世話や管理までして下さる葬儀会社などがあるので、その簡易さも引因かもしれない。 【家】を考える事、お仏壇詣り、墓参、氏神様へのご挨拶、感謝届などの宗派を問わず【詣でる】という行動が現代人の中から薄れつつあるのは確かなことだ。今までの神社寺院の慣習で、現代では複雑すぎる儀式的な面もあり、時流に合わせて簡素化が求められるだろうが、その際は、必要最小限のシンプル化、真髄だけは日本列島に残して欲しく思う。慾のモノ・カネ・コトに走りすぎ其等を最優先して、気が付くと村落共同体、隣組、互助心など,【心の柔らかさ】が崩壊し、或いは、慾付きのモノ・カネ・コトが溢れている都会になびく若者が増え、威厳のある祭事や儀式や伝統行事の存続が困難に陥る神社仏閣が増えている現実もある。多義に渡り豊かな精神を育てたこの愛する日本の土壌の中で素朴な故郷までも衰退していく様が目の前を急ぎ退走していく。棄てても良い昭和もあれば、これだけは譲れないと思える昭和もある。潤沢な平成も恩恵を授かって良かったし、時にストップを掛けたい平成もある。入り乱れている今だから巻き込まれず冷静に世渡りをしたい。【命を大切に生きる】こと、一番大切な命を運ぶ日々、すなわち運命を良くするには我が命が喜び、ワクワクする最善の場所を見つけて、たまに足を運び、サッパリサラリと暮らしてみたい。最善の場所は日々の暮らし空間のわが身間近にある氣がする。