小さな窓口

2017年11月

一方向性社会から全方向性社会へ 心の働きが大切。自立が大切。

ホセ・ムヒカ氏は、貧乏の提唱をされているのではなく、誠意をもって、モノ・金に溺れず、自分の人生の道を自分流に歩くことを提唱されているのだと思う。
今日、日本の経済がある意味飽和状態であり、消費文明も1つの大きなステージが終了したかの如く感じる。確かにありとあらゆる品(モノ)が多くつくられすぎ氾濫し、今は何度かは無駄遣いを反省している人も増えているだろう。
ホセ・ムヒカ氏は非常に分かりやすい表現で我々に本当の本姿の本質に氣付き、生きる為に「歯止め」を解かれていると思う。

Ahs.モノを買うことは自分の人生と自由の無駄遣いに繋がる。

貴重な視点からの貴重なアドバイスは、私の残された人生の中にピリッとスパイスの役目を果たすであろう。

人は志を持ちながらも、予想外に順調に諸事が運ぶと大きな勘違いをして志から目印の目標を見失い、見失っていることにも氣付かずにブレブレ切ってしまう。結果、強者の前で萎縮したり、都合の悪いヒト・コトは排除したり、嘘をどこかに入れなければ「つじつま」が合わなくなり、それを繰り返していると、嘘をついていることすら忘れてしまい、「分からないだらけ」の人間になり下がる。同じことなら自分を大きく偉く見せたいという慾心に固まり、人として大変氣の毒すぎる悲しく淋しい結末が生じてしまう。そんな時、大きくブレすぎたり、凝り固まっていたりする時に発する言葉は弱者を傷つける。しかし、どこかしら見えない世界や大自然のエネルギーは、弱者を傷付ける言葉を「異常事態」と捉えて反動し、人を傷つけた事への重みと、自分が発した言葉通りの人生の展開をその人間に必ず与えるのだろうと妙に最近感じる。
自分の道からブレて他人の道に入ると、迷い道をそのまま自分の道と錯覚して歩む。錯覚が生じているのだから、穏やかさも心のあたたまりも平和もあるばずがない。
人には良い方向にく力(エネルギー)、自分に適しい方向に動いたところに自分をかすエネルギーがあり、が合流すると、その時その場に適しい人のたよりられ、道をはみ出さなければ困らない様に人は生まれて来るのだ、と師から教わっている。動くベクトル、生かされるベクトルの合力が造るベクトルになる。この三点セットエネルギーを保ちながら、振り子の糸が切れない様に自分を 惠榮けいえいしていくところには毒氣もなく勘違いもなく認め合い許し合い誠実で聖き慈愛のある社会が存在することも教わっている。
今、世の中は慾という名の石けんで顔を洗い、洗面器にためた勘違いという名の水ですすいでいるように思うことが多くなった。
慾という名の石けんを買ったつもりはないが、それしか売っていない。蛇口をひねると勘違いという名の水しか出て来ない。あ...あ...あ...こまりましたね~。

人間って300年ぐらいの間に人口が14or15倍になっているらしいですよ。
「我に天敵なし」と思い自然をぶっ壊したから台風や集中豪雨の時に踏ん張りがきかなくなった。一方、人間が人間(仲間)を排除するほど傲慢になり、又排除されたら生き残りたいという心が湧いて揺れ動くんですね。
大自然は「いや」と思う相手とも我慢して(そうと思う)共存することを選択してバランスを取るんですよね。
高い木→少し高い木→低い木→草→小動物→微生物(カビ・バクテリアなど)は長い時間をかけて大きな生命体を守っている。高い木がバクテリアに「アンタ、キタナイ除菌ダ」と言わない。低い木が高い木に「アンタ、邪魔、おひいさんが少ししか当たらない」と突き刺す言葉も発しない。小さな体に命を宿して懸命に大木やカビの中間で生きてる草もかわいい花を咲かせ人の心を麗しくし、小鳥の優しい響きで変心して元氣よく生きる手助けもする。しかし、えらばらない。

あの道、この道、どの道を歩んでいても、大概は対決言葉を発したり歯向かって進んだり、人間が人間を切り捨てたり、縛ったり、見捨てたりしている。

やめようよ
心の無駄遣い
やめようよ
慾まみれの思い考え

人間や社会の勉強学びもし、温かい言葉を使い、人の心の中に土足で入りこまない、全く健やかな心体で自分は自分の道を歩くことが大切だと気付いた。